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【人喰いゴリラ】些末な事が気になるのは、きっと毎日が平穏過ぎるから【出没注意】

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沢松祭十郎(さわまつ さいじゅうろう)は土曜日の午後、駅前の喫茶店で一人、読書をしながらアイスコーヒーを飲んでいた。隣席で喋り倒すOL風二人組がうるさい。そんなでかい声で何喋っとんねん。と、聞き耳を立ててみる。

 

「最近さー、出るらしいねー、あれ」
「そうそう、まじ怖いよねー」
「ゴリラが人食うとか、まじやば過ぎるよねー」
「ほんとほんと、最近怖くて夜も2時間しか寝れないわー」
「私なんか1時間49分しか寝れないしー」
「ほんと最近みんな寝不足だよねー」

(以下略)

 

とまあ、なんとも緊張感の欠如した冗長な話であったが、内容は結構深刻である。要約すると、最近西の山に人喰いゴリラが出て、たまに街に降りて来ては人をさらって行く。隣街の人々は恐怖に慄きっぱなしで夜も眠れないと言う。沢松はそんな話を聞いてしまうと、読書に身が入らない。沢松は落ち着いて読書をしたいのだ。そんな恐ろしいゴリラの存在を知ってしまっては、ゆっくり読書も出来ない。そんな鬱陶しいゴリラ、殺すしかない。

 

沢松は同僚のケニア人、ンジョルゲに「西の山に人喰いゴリラが出るらしいから二人で退治しに行こう」とメールを送る。ンジョルゲは沢松を信頼し尊敬しているので「いいよん」と返信する。早速二人は合流する。

 

二人は先ずドン・キホーテにゴリラ退治の為の武器を買いに行く。沢松はヌンチャク、ンジョルゲは光るライトセーバー(単三電池別売り)を購入。これでゴリラをボコボコにしてやる、などと言いながらドン・キホーテを出ると、街は夕暮れ。今日はもう遅いので、ゴリラ退治は明日にしようと、二人は駅前の立ち食いそばを食って帰る。別れ際、沢松は「俺はブルースリーの映画は全部観てる、格闘技の経験は無いけど、中学時代はソフトテニス部で県大会まで行ったし、ヌンチャクさえあれば、人喰いゴリラだろうがなんだろうが負ける気がしない」と豪語した。

 

翌朝、7時に駅前のコンビニで待ち合わせ。ンジョルゲは6時46分に到着。沢松はまだ居ない。沢松に「ついたよ」とメールをし、目に留まった「ゲゲゲのゲーテ」という本を立ち読み。小脇に抱えたライトセーバーが邪魔で立ち読みがしにくい。暫く本に夢中になって、気付けば7時半、沢松はまだ来ていない。まだか、あのアホは、でも何か約束に間違いがあったのかもしれない。ンジョルゲは沢松に電話する。

 

なんやかんやで、沢松が来たのは8時。今起きたみたいな顔をしているが、沢松は「寝坊じゃない、防具が無いと心許ないから、タンスをあさっていたら、奥の方から元カノのヌーブラが出て来たから装着しようとしたが、着け方がわからず手こずっていた」と言い張る。沢松の胸がいつもより少し膨らんでいる。ヌーブラを着けて来たのは嘘じゃ無いようだ。ンジョルゲは防御の事は何も考えず軽装(ステテコ、タンクトップ)で来たので、さすがは沢松だ。と感心する。

 

西の山に向かって歩く。途中沢松は、「今日はちょっと膝の関節が痛む、本調子じゃない、今のフィジカルコンディションでは、俺は人喰いゴリラに勝てる気がしない、だからンジョルゲ、全てはお前の頑張りにかかってる」と言い出す。

 

ンジョルゲは今日は朝から快便だった。ゴリラ退治に備えて、昨夜はニンニクを食べ、酒は我慢して早めに寝た。絶好調だ。しかし相棒の沢松には全くやる気が感じられない。言い出しっぺのくせに。ンジョルゲのモチベーションまで下がる。そもそも、せっかくの日曜日だというのに人喰いゴリラ退治なんて、馬鹿げている。

 

二人は山あいの町を国道沿いに、西へ向かってとぼとぼ歩く。日曜日の朝は静かだ。偶にすれ違う老人達と「おはようございます」と挨拶を交わす。広い田んぼの片隅で、スズメが小虫や草の種を啄んでいる。実に可愛らしく、長閑な風景である。空は青く、雲はまばら。青い空を見上げていると、人喰いゴリラの事なんてどうでもよく思えてくる。本当に僕たちはこれからゴリラと戦いに行くのだろうか。何のために?って言うか、別に俺らが行かなくても誰かがやってくれるんじゃね?という思いが二人の脳裏を掠めた。

 

ふわふわした気持ちのまま、二人は山の麓まで到着する。もういつ人喰いゴリラが出て来てもおかしくない。二人の間に緊張感が漂う。ンジョルゲは光るライトセーバーのスイッチをオン、オフ、オン、オフ、と切り替えて、ちゃんと光る事を確認する。大丈夫だ、昨日の夜、エネループの単三電池を入れて来た。ンジョルゲは臨戦態勢だ。ンジョルゲは沢松の方を見る。沢松は何やら、もじもじしている。

 

「どうしたの?沢松」
「いや、ちょっとな、なんか、うんこしたいわ」
「俺が見張っとくから、ここで素早く済ませたらいいんじゃない?」
「いや、でもな、紙とか持って来てないし、葉っぱとかあるけど、お尻切れそうやし、拭き残しとか嫌やし」
「すぐそこに川があるから、水で尻を洗え、そうすれば清潔だ、俺の故郷ではみんなそうしていた」
「いや、でもな、なんか嫌やわ、ちょっと街まで戻ろう」
「沢松がそう言うなら、しょうがないな」

 

二人は駅前の街まで戻り、沢松はコンビニのトイレで用を足す。そうこうしている間に昼前。二人とも腹が減っていたので、街中の中華料理屋でラーメン、炒飯、餃子とビールのセットを注文。二人とも中華料理が大好きだ。そしてビールが大好きだ。休日のちょっとした贅沢であり、至福の時だ。こんな最高の時に人喰いゴリラの話なんて、辛気臭い、ナンセンスだ。二人はゴリラの話を避け、家族の話、共通の知人の話、たわいもない趣味の話などをして、休日のランチを大いに味わい、楽しんだ。

 

中華料理屋を出る。ほろ酔い。透き通った青い空。二人はもうすっかり戦意を喪失していた。人喰いゴリラの事なんてどうでもよくなっていた。そもそも、人喰いゴリラが出るだなんて、ただの噂話だ。本当かどうかなんてわからない。それに、本当だとしても、僕達がやらなくても、きっと誰かが代わりにやってくれる。

 

「やめようか」
「うん、やめよう」

 

沢松とンジョルゲは、晴天の、日曜の昼間だと言うのに閑散とした街の中に颯爽と消えて行った。